あるきながらあるき③コアコレクティブ

エアコンの温度を26℃にしたり27℃にしたり行ったり来たりしている。26.5℃がいいんだけど、うちのエアコンはできない。友人に聞くとできるエアコンもあるらしい。頭がいい。できれば、この数字にできないあいだのものでいてほしい。ねこ様は「温度どうでもええで。エアコンずっとつけとけや、こら。チュールだせや。」とおっしゃる。「わしらは寒かったら寒かったでけがモフモフするし、暑かったら暑かったでごっそり毛が抜けるし、文句言うしな。チュールさらに出せや。」ともおっしゃる。

 

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仕方がないのでチュールをお皿に出して(カルはチュールからそのままチュールを食べない。から、かわいくない。普通にご飯食べてる感じになる。かわいくない。)エアコンをつけっぱなしにして散歩に出かける。

 

きわめて短い距離を偶然歩くことになっても戻ることのない永遠の冒険のつもりで進むべきです。 『ウォークス』レベッカソルニット

 というわけで、そのつもりで散歩してみる。しかし、戻らないとなるとカルちゃんともう会えないのか。少し涙ぐむ。もう、それなりに年だからすぐ泣く。泣けるようになった。ペンギンが自分で産んだ卵を冷やさないように足の上にのせる映像で泣く。おジャ魔女どれみの最新映画を観に行って始まって5分で泣く。終わっても泣く。泣いている場合ではない。歩く。

一歩一歩が楽しい。いつもの散歩とは違う感覚。一歩ごとのさよーならー。二度と同じ場所を踏むことはないのだ。仙骨を入れろ腹筋を使え。みぞおちを突き上げろ。知らない場所だ知っているけど知らない場所になる。

すっかり夜だ。秋の音がする。

それにしても蝉も鈴虫もいつだって鳴いているのだ。それなのに、その声に気づく瞬間が自分にあるのが不思議だ。自分はなぜ、あ、鳴いているなとその声に急に気づくんだろう。その声は常に、共にあったはずなのに。

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誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない『断片的なものの社会学』岸政彦 

 蝉の声さえなかなか気が付かないのだ。社会に隠されているものもよほど注意しないと目に触れることなく過ぎていってしまう。歩きを少し変えるだけで目に触れるものも変わる。思考も変わる。空間も変わる。

しかし、帰る家がないのは悲しいし、カルのことを考えると帰らねばならぬ。西友にチュールとピュリナワンを買って今日は帰る。