2013年12月

12月

3日にスタッフ下見。
一番緊張するスタッフ下見。セッションの感覚をつかみ、稽古とのずれを確認。

7日カトルカール本番当日。

ゲネ、昼、夜と三回踊る。
体力勝負。
寝よ寝よ。暇があれば寝る。
男、俺しかいない。

みずきちゃん主役。よく稽古する子だ。えらい。
雨男は腰を低く、大地とつながりながら。客もいじる。

よい公演でした。見に来てくれた人も元気になってくれて。
コルプトの公演は大体人を元気にする。これはかなりすごいことなんじゃないかな。

セッションハウス翌日
わが大森政秀師匠出演の舞踏オペラを観劇。
師匠の踊りに惚れ惚れする。

そして、15日は横滑ナナさんとワタルさんの舞踏公演
「夢見るお七の海鼠夜話」の音響。
今年はスタッフで始まり、スタッフで終わるみたい。

しかし、スタッフをしてみて感じたことがある。
普通のスタッフさんはもくもくと仕事をし、出演者によかったでしょう、あの音響!!
みたいに押し付けがましいことは言わない。

おれ、言う。向いてないと思う。スタッフ。やっぱ出たい。

ともあれ、公演は大成功。
すごいよい舞台でした。もちろん音響オペレーションも。

図書館でふと、竹内敏晴さんの本を見つける。
大学時代ゼミで使った本だ。
ことばがひらかれるとき(ひらかれるが漢字で出ない。) 

久しぶりに読んでみよう、借りて帰る。

竹内敏晴さん、1925年東京生まれの演出家。演劇創造や人間関係の気づきと変容、障害者療育に打ち込む。もう亡くなられてしまったが、大学時代一度だけ、ワークショップを受けたことがある。僕のゼミの先生の先生。

読んだら、目からうろこ。
大学時代わからなかったことが、今になって響いてくる。
舞踏をやっていることもあり、理解がさらに深くなっているみたい。

例えば、
「自分以外に役はない。
ハムレットが客観的にどこかにいるわけではない。私がハムレットとして行動し、ハムレットの台詞をしゃべるときにハムレットという名前がつく。私が想像力でその状況に立つこと以外にはハムレットはいない。私だけである。」

とか、
「意識によって無意識を操作することはできない。だから、無意識が働き始めるようなからだの状態を正確に準備することしか演技者にできることはない。」

とか、
「月を見てきれいだと思っているとき、月と自分には距離がないでしょう。」

とか。
(これなんかは大野一雄先生がいっていた、花を見ていたら花になっている。様な感覚と同じなんじゃないかな。)

これはわかっていたけど、知っていたけど、なかなかできることじゃない。

そして、紀伊国屋で、この本買おうと決意する自分でした。
もっと読み込もう。
今ならわかることがすごく多いし、
大森博師匠の演技の根源はこれに近いのではないかと思う。
ほかの人とぜんぜん違うところで芝居をつくるんだもん、大森師匠は。

そして、芝居をする人にはお勧めの本です。


12がつまで駆け足で書いた。
先生に恵まれていると思う。ありがとうございます。

来年はもう少し筆まめに。

12月ノート
1cmと2cmの間の無限。
1mmも思っていなかった?ほんとう?じゃあ、1素粒子ぐらいは?
うん、1素粒子ぐらいは思っていたかもしれない。
細胞、沖縄戦、鉄嵐。ポーランド演出家グロトフスキー
稲垣足穂。野口体操。
関係をとり続けることで感情が生まれる、感じることができる。
それは人との、ものとの、ちきゅうとの、すべてのものとの関係。
触ることは触られていること。見るは見られる。内と外。
意識的な行為より無意識の機能のほうが基本的。
だって、意識的に心臓は止められないでしょう。
イメージはそのものができたときに成り立つ。