沈没家族

沈没家族を横浜のジャックアンドベティにて鑑賞。

沈没家族ウェブサイト
http://chinbotsu.com/

時はバブル経済崩壊後の1995年。地下鉄サリン事件阪神淡路大震災が起き、世相がドンドンと暗くなる中、東京は東中野の街の片隅で、とある試みが始まりました。シングルマザーの加納穂子が始めた共同保育「沈没家族」です。ここに集まった保育人たちが一緒に子どもたちの面倒を見ながら共同生活をしていました。そこで育ったボク(監督:加納土)が「ウチってちょっとヘンじゃないかな?」とようやく気づいたのは9歳の頃。やがて大学生になってあらためて思ったのです。
ボクが育った「沈没家族」とは何だったのか、“家族”とは何なのかと。当時の保育人たちや一緒に生活した人たちを辿りつつ、母の想い、そして不在だった父の姿を追いかけて、“家族のカタチ”を見つめなおしてゆきます。 (ウェブサイトより)

1995年にこのようなことがあって、メディアにも取り上げられていたらしい。何も知らなかった。

今この映画がすくなからず話題になっていること自体がとても面白いと思う。この試みが始まって24年たっているということだ。そして、そこで育った子供が大きくなって大学の卒業制作としてこの映画を撮った。

これだけの年月をかけてもなお家族という問いに答えが出ていないのだ。沈没家族という共同保育が失敗したのか成功したのかはこの映画を見てもよくわからない。いまだに家族というものが問いのまま進行形としてこの社会に存在し続けている。